杖・ステッキ・製造販売専門店・磯部ステッキ

磯部周二郎
技術の継承
初代周二郎亡き後、二代目周二郎こと磯部周幸がステッキ制作を継承。
磯部周幸は初代周二郎の生家で昭和25年1月10日に兄周一郎の長男として生まれ、生業である農業に従事する傍ら、叔父周二郎よりステッキ作りの指導を受け、原材料、製材、曲げ、削り、磨き、塗装など製造の全工程を約四十年掛け習得した
特に初代周二郎も手掛けなかった『ステッキの曲げ』の技術を会得しているのは素晴らしい事。
 
ステッキ職人
ステッキ制作の全工程をこなす職人は日本はもちろんステッキの本場イギリス、イタリア、ドイツなど見ても殆どいないのが現状。
二代目周二郎は「初代周二郎亡き後、周二郎の名に恥じない日本のステッキ職人として本物のステッキを作って参ります」と意欲を語っている。
初代周二郎は天分のステッキ作りの才能を生かし、一代で磯部ステッキを育て上げた天才職人。
二代目周二郎は一代目の技術の習得に加え、創意工夫を重ねステッキ制作の全工程を身に着けた努力家である。
アルミ、カーボン製の工業製品ステッキでなく、木を曲げて制作する伝統の本物のステッキを極めるため日々精進している。

ステッキの曲げの匠二代目周二郎

初代周二郎の原点

初代周二郎

研磨の達人

ステッキの手品師 初代周二郎

創生期
初代周二郎は昭和三年、福島県岩瀬郡天栄村で農家の次男として生まれ、昭和二十七年福島を離れ世田谷区のステッキ製造卸に修行に入り、約五年間奉公し吉田茂のステッキの修理などもおこなった。
昭和三十年結婚後、世田谷区桜新町に借家し作業場として改装、ステッキ職人として独立した。
ミスミ商店
独立当時、販売する得意先もなく、完成したステッキを自転車に積み込み毎日傘屋を1店づつ訪問、売り込みを行った。
偶然訪れたのは、当時アメリカ軍が進駐していた立川の駅前商店街で履物、傘を販売していた『ミスミ商店』だった。
主人は派手さはなくともしっかり作られたステッキを評価し、十万円も購入してくれた。この売上が磯部ステッキ出発の原点である。
成長期
磯部ステッキを語る時、明治十五年銀座で創業、四代続くステッキの老舗卸:《タカゲン》,大丸百貨店に納入する関西地区の老舗:浪速の杖商《片山商店》, 創業昭和二十五年、巣鴨地蔵通の老舗傘専門店:《小林洋傘店》の名を忘れることはできない。
この三店が磯部ステッキの成長期を支えてくれた得意先である。
現在
『銀座タカゲン』『三越百貨店』のステッキ売り場には『周二郎のステッキ』の結晶が陳列、販売されている。

銀座タカゲンの見事な高級ステッキ 店舗陳列
磯部周二郎  八王子のステッキ工房

200種類以上日本一のステッキ材

磯部ステッキ工房塗装

収集
初代周二郎は『良いステッキは、良い材料から』の信念のもとステッキの材料在庫確保には全精力を傾け、日本、世界のステッキ材料の収集をおこなった。何種類あるかは現在も分らない。
 
乾燥、貯蔵
ステッキは生の木では制作は出来ない。現在も数年から数十年間も乾燥、貯蔵され在庫されている。

途中下車の旅

磯部ステッキ工房
多摩探検隊

「ステッキ職人 ~作り続けて50年~」
中央大学FLP松野良一ゼミ (2006年7月放送)